ブログの歴史に名を残す方法

ASCII Blogger Art
ASCII Blogger Art / @labnol

当ブログでは、記事タイトルの重要性から始まり、ソーシャルストリームにおけるブログの重要性、そして、ソーシャルブロガーの提案をしてきました。

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる

佐々木俊尚氏の渾身の書下ろしです。最近の情報社会の変化と、今後の行く末を網羅的かつ丁寧に説明されています。当ブログの内容と被る部分が多く、さらに深い部分での本質的な議論がされているため、どんどん頭の中に浸み入っていく感覚を覚えました。

情報・IT関連の方にはぜひ一度は手にとっていただきたい一冊です。

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キュレーター≒ソーシャルブロガー

本書の冒頭にある、キュレーションの定義を確認しておきましょう。

無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。

キュレーターについては「情報を選別して紹介する人」くらいの認識でした。情報発信の際に必要な資質であることは間違いないですが、それだけではちょっと物足りない感じを持っていました。「選んだ情報」が主役になってしまって、肝心の「選んだ張本人」が脇役になってしまう感があったのです。

ソーシャル時代において「ブログ」の重要性がさらに増す理由」において、ブログがソーシャルメディアに寄生して、息を吹き返しているという話をさせていただきました。ネタにされやすい記事をソーシャルストリームに投下すると、うまく臨界点を超えた記事は、核爆発のようなアクセスを集めることができます。

本書で描かれているキュレーターの姿は、まさに私が理想とするブロガーの姿「ソーシャルブロガー」そのものでした。「自分の価値観や世界観」を持ち、「新たな意味を与え、多くの人と共有する」姿は、ソーシャルストリームを駆け巡る「ソーシャルブロガー」の独壇場です。

私が目指している「ソーシャルブロガー」とは、各方面から情報を収集して、咀嚼して、自分の言葉に直した記事をポストできるブロガーです。書き手からの「目線」(本書でいう「視座」)がふんだんに盛り込まれていて、読み手は書き手の見方に共感します。

「まとめ記事」のような、書き手の存在感が薄いコンテンツも「キュレーション」の一つとして認識されつつあります。nanapiのようなまとめサイトも台頭してきました。キュレーションと呼ばれる範囲はどんどん広くなっているので、キュレーターの中でも、特に自分の視点を前面に押し出して活動するブロガー「ソーシャルブロガー」を意識したほうが、わかりやすいと思います。

ソーシャルブロガーについてはこちらの記事もお勧めします
好きなことを書け、とにかく続けろ


Aztec King / El Rey Azteca / Davichi

コンテキストもコンテンツの一部

「コンテンツが王だった時代は終わった。いまやキュレーションが王だ」

アメリカのブロガーの言葉です。つい最近まで、「コンテンツ イズ キング」が叫ばれていました。果たして「コンテンツ時代」は本当に終わってしまったのでしょうか?

本書によれば、キュレーションとは、コンテンツに「コンテキスト(文脈・背景)」を付与する行為と言い換えられます。選別した情報に新しい意味を与えて、新たな知見に生まれ変わらせることで、人々の興味をひけるようになります。

「コンテキスト(文脈・背景)」は「コンテンツそのもの」だという見方もできます(ちょっと言葉遊び風になってしまうことをご容赦ください)。どんな文章も、他の文章からの借り物を「コンテキスト」に沿ってつなぎ合わせたものにすぎません。文章は「コンテンツ」であるけれど、完全なオリジナルな文章は存在しないのです。

「野菜炒め」を例にとると、何も考えずにスーパーで野菜を購入して野菜炒めを作るのではなくて、「理想の野菜炒めとは何か」を追求して、野菜一品ずつ産地と農法にこだわって厳選して作る野菜炒めの方が、食べてみたくなりますよね。

コンテンツとコンテキストは相互補完的な関係であって、どちらがかけてもいけない。コンテキストは決して「コンテンツのおまけ」程度の副次的な存在ではないということなのです。

野菜炒めそのもの(コンテンツ)よりも、上記のような野菜炒めにかける情熱(コンテキスト)のほうが、興味・認識の対象になっています。もはや、コンテキストを作ることは実質上コンテンツを作ることと同じ、一心同体なのです。「コンテンツが王だった時代は終わった」という表現よりも「コンテキストの無いコンテンツの時代は終わった」の方が、しっくりきます。

「ステーキを売るな!シズルを売れ!!」「モノを売るな、体験(感動)を売れ!」などの商売の格言も、コンテンツとコンテキストが一心同体であることを示していると思いました。

ブログ史の一部に、自分のブログを接続する

美術品のバイヤーなどを例に、コンテンツ作成者とキュレーター(コンテキスト付与者)が別人であるケースが、本書では多く紹介されていました。ブログ界でも、ニュース記事や他人のブログ記事を紹介・引用して記事を書く「ブログ・キュレーター」的な活動をしている人は多いです。

それに対して、「ソーシャルブロガー」は、コンテンツ作成者とキュレーターとしての視点の両方を持ち合わせる必要があります。オリジナルに近い記事をポストしつつ、各記事とブログ全体のコンテキストの波長を合わせて、どのソーシャルストリームにどんな記事を流し込むと、バイラルしてより多くの人に届くかという戦略的キュレーションも考える必要があります。

ただ闇雲に面白い記事を流せばよいというわけではなくて、一貫した「コンテキスト」の存在が不可欠です。これまでに無い、オリジナルなブログ・コンテキストは、ソーシャルストリーム上でのブログの存在感を際立てます。

自分で自分の作品にコンテキストを付与し、そのコンテキストがアメリカ・ヨーロッパの美術シーンに接続できるような戦略を立てていったということです。すなわち彼は天才的なアーティストであるのと同時に、きわめて優秀な(自分の作品に対する)キュレーターでもあるわけです。

美術関連のキュレーターがアウトサイダーの絵をいかに美術史に接続できるかを考えるように、ソーシャルブロガーは「ブログ史」に、自分のブログをいかに接続するかを考える必要があるのです。ネット・ブログ上でキュレーター的活動を行うには、「ネット史・ブログ史」を意識すると良いと思います。


Google Snail Mail / AZRainman

グーグルの行く末

コンテキスト無きコンテンツの出番は少なくなってきています。そこで気になってくるのが、「コンテンツ イズ キング(コンテンツが王様!)」を標榜していた、Googleの今後です。

コンテンツ(とそれらを結ぶハイパーリンク)を解析する検索アルゴリズムは、限界に来ています。次から次へと無限増殖を続けるスパムページから、有益なページをピックアップする作業は、ヘドロの海底から、小さな指輪を見つけるような、気の遠くなる作業です。

ソーシャルメディアの台頭によって、状況は大きく変わろうとしています。ソーシャルメディア上でお勧めされているページを集計して、アルゴリズムに加えることで、検索ランキングの精度を飛躍的に高められるからです。

via: SEO終了のお知らせ

時代はコンテンツからコンテキストへ移っています。コンテキストの源泉は「視点の共有」つまり、他者との共感や共鳴、他者とのつながりです。人と人とのつながりといえば、ソーシャルメディアの独壇場です。

検索エンジンのアルゴリズムに「コンテキスト・データー」を加えることで、飛躍的に検索精度を高められることは明らかです。つまり、検索エンジンアルゴリズムに、ツイッターやフェイスブックのソーシャル・グラフデーターを加えるのです。

実際に、GoogleとBingが、ツイッターでツイートされたページURLを、検索エンジンランキングを決めるデーターをして利用していることを明らかにしました。検索エンジンも、キュレーションされたデーターをキュレートする時代になってきたのです。

今まさに、劇的な変化が起きようとしています。ネット上の力学が大きく変化しはじめているのです。戦国時代や明治維新などを見てもわかるように、動乱の時代には、多くの人に新たなチャンスが生まれます。これからの1-2年は意識し続けて、チャンスを逃さないようにすべきです。。

ちなみに、Googleの検索エンジンは、最終的には「人間の頭脳」を目指しているという話を聞いたことがあります。数値計算だけのアルゴリズムだけでは、人間の頭脳に匹敵することは難しいでしょう。ですが、ソーシャルグラフ上には、人間が自分の意思でピックアップした情報、キュレーションされたデーターが集まっています。

ソーシャル上のデーターを取り入れて、人々の頭脳をちょっとずつかき集めたような形の検索エンジンであれば、人間の脳にさらに近づけることは間違いないと思います。

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