上手い文章のコツは「喋るように書く」

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ブログをやっている人はみんな「上手い文章」を書きたいと思っているでしょう。文章のテクニックを学び、実践を繰り返す。そして、ある日突然気がつくのです。文章が「上手いこと」と「面白いこと」は、まったく別物であることに。

書いて生きていく プロ文章論

文章は読んでもらえないことには、存在価値はありません。当たり障りのない飾り付けだけは立派な無難な文章よりも、多少無理があっても強引に引っ張った文章の方が、人々を惹き付けます。本書を読んで共感したポイントをまとめました。

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キャッチコピーからボディまで一気通巻で読ませる

私は、キャッチコピーからつながるボディーコピーに徹底的にこだわりました。冒頭の文章を印象的なものにして、一気に読ませる流れを作る。気がついたら全部読んでいた。そういう文章を作る。それは今も心がけていることです。

via: P30

文章とは人に読まれないと存在価値がありません。いくら本文の内容が素晴らしくても、文章のタイトル、そして、導入の文章が魅力的でないと、人々は読み始めることすらしてくれないのです。

RSSリーダー、ツイッターのタイムラインに表示されるタイトルの中から、読むか読まないかを判断するのは、ほんの一瞬。検索エンジン対策を気にして、よくわからないタイトルをつけることだけは止めましょう。文章を読むのは人間ですよ。

しゃべっているのと同じように書く

相手に何かを伝えたいと思ったとき、会いに行くなり、電話をするなりして、話をしに行くでしょう。

普通に話をすることについては、多くの人が苦手意識など持っていないのではないでしょうか。ならば、その話す内容を、そのまま文章にしてしまえばいいのです。

ここで、「文章とはこういうもの」と思い込み、喋る内容を「文章」にしようとするから余計な力が入ってしまうのです。

via: P48

格好良い文章を書こうとすると、ギクシャクした読みづらい文章になりがちです。いつも使わないようなことわざや慣用句といった「借り物の言葉」を入れてしまうと、文章に違和感が出てしまいます。

普段からしゃべるように書くと、読みやすい文章になります。文章に勢いがついて、読む人を惹きつけます。

ターゲットを限定する

極端な話、全員にとってどっちつかずで印象に残らないものを作るよりは、2割でも3割でもいいから深く突き刺さるものを作る。そのほうが明らかに意味があると私は考えています。

via: P32

全ての人をターゲットにして文章を書いてしまうと、平凡な文章になりがちです。「30代後半の課長になれるかなれないかの瀬戸際のサラリーマン」みたいに、徹底的にターゲットを絞って文章を書いたほうが、人々の心に刺さる文章になります。

みんな忙しいのです。「ローンは繰り上げ返済がお得」みたいな、当たり前な文章を読んでいる暇なんてありません。「ローンは5年で返す!」みたいな、多少強引な文章の方が、人々を惹きつけます。

批判をする際は、相手をリスペクトする

何かや誰かを批判する文章というのは、比較的書きやすいのだ、というのです。

だから、みんな批判的な 文章を書きたがる。批判的な文章を書いていると、文章が書けたかのようなうまくなったかのような気になってくる。

それは、文章書きとしての大きな落とし穴である、と。

via: P105

批判はとても簡単な作業であることを知りましょう。正しいことを証明するには、すべての場合を網羅する必要がありますが、批判は、どこか一つ穴を見つけてほじくって否定すれば済むからです。

批判する相手にも家族や親戚、知り合いがいて、人生を過ごしているわけです。人間としてはリスペクトすることを忘れないで欲しいです。人格否定をしてはいけません。人として最低の行為です。

とはいえ、批判をしてはいけないということではありません。相手の人格否定と、問題へ批判をごちゃ混ぜにせず、しっかり分離して、相手をリスペクトした上で行いましょう。

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どう書くかではなく、何を書くか

なぜなら、より多くの読者が求めているのは、中身は薄いが美しくてうまい文章ではなく、面白くて中身が濃くて自分の役に立ちそうなインタビュー記事だと思うからです。

via: P218

結局のところ、どれだけ文章が上手くても、テーマが面白くなければ、面白い文章にはなりません。プロの方なら面白くないテーマから、無理矢理面白さを引き出して、面白い文章を書くことができるのでしょうけど、我々のような素人ライターは、まず「面白いネタ」を探す力を伸ばした方が発展的です。

面白いネタは、日々の生活の中にあります。「おや?」と思ったことがあれば、積極的にメモをしておきましょう。

苦手意識を持つ

常に文章に苦手意識を持っていたからこそ、私はどうすれば苦手意識が克服できるのか、もっとうまく書けるようになるのか、をずっと考え続けていました。

実は今になっても、その意識は抜けていません。これがもし、文章が得意で自信があったならば、果たして同じことができたかどうか。これもまた、人生の不思議さを感じてしまいます。

得意なことで行きたほうがいい、というわけでは必ずしもない、ということです。

via: P310

おそらく、自分の文章力が抜群で、文章を書く事が得意だと思っている人は少なく、苦手だと思っている人の方が圧倒的に多いと思います。でも、それで良いと思います。自分の文章に満足しない事で、用心深くなりますし、他の人からの批判を素直に受け入れることができます。

文章力には、これで良いという線引きがあるわけではありません。個性的であることも大切です。つまり、文章力は人間力の一つなのです。平凡すぎても誰も読んでくれない。でも、非凡すぎると叩かれる。両方の間の境界付近を行ったり来たりしながら、失敗と成長を繰り替えす。文章力の向上は、一生のテーマなのです。

今日のわかった

私も自分が文章が得意とか思ったことも無いですね。子供の頃から国語は好きではなかったです。

それでも、2-3年前よりは多少マシになってきたと思います。日々工夫しながら書いています。

読書2012
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