走るとはなにか?

先日100kmウルトラマラソン、チャレンジ富士五湖を走ってきました。

当初は、「年間グランドスラム(※)」を目指して走っていたのですが、7月に出場した富士登山競走が、天候不順により五合目打ち切りで、達成できなくなってしまいました。

チャレンジ富士五湖を走る目標がなくなってしまったのです。

これまで出場してきたレースは、自己ベスト更新など、何かしら目標がありました。人生初の経験でした。

しかし、モチベーションゼロで、人は100kmを走れるのか? という興味もあり、走ってみることにしました。

レースは過酷でした。ジョギングペースで余裕をもって走っていたつもりなのに、40km付近から足が重くなりました。左足の裏にはマメができ、痛みが出るようになりました。

50km過ぎからはお腹の調子が悪くなって、トイレに3回駆け込みました。

体調が良くない状態で、まだフルマラソン以上の距離を走らないといけない。

リタイヤする理由はいくらでもありました。

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ところが、そんな中、沿道に見たことがある方が。

知人が私設エイドを開いていてくれて、飲み物を頂きました。暑くなっていて、ちょっと脱水気味だったので、助かりました。

「頑張ってください!」と言われ、リタイヤを考えているとは言えませんでした。

途中、往路と復路のランナーがスライドする区間で、知り合いのランナーと会いました。

ハイタッチをしてお互いの健闘をたたえました。リタイヤできる雰囲気ではない。

見知らぬ人が、ランナー一人一人に声をかけていました。

100kmウルトラは孤独なので、見知らぬ人でも目が合うと笑みがこぼれます。

お礼を言ってガッツポーズで応えました。

しかし、お腹の調子が悪く、本当にもうだめ。でも、ふと知人の言葉を思い出しました。

「目標が無いのなら、子供たちのサッカーリーグ戦の必勝を祈願して走ってくださいよ」

パパ友の言葉でした。子供たちは秋のリーグで苦戦しています。

完走できず、子供たちが負けたら「お前のせいだ」と言われそう。

結局、12時間弱かけて、ゴールまでたどり着きました。

色々なことが起きましたが、その都度折り合いをつけたり、応援から力をもらったりして、走り抜きました。

補給のためにエイドは全て寄りましたが、その他の区間は全て走りました。途中で歩くと、再び走り出せない気がしたので、歩かず走り続けました。

雨が降りしきる、ゴールの陸上競技場。雨が冷たかったですが、体にはエネルギーが残っていました。

生きてるという実感がありました。

そう、

「走るということは生きる」

てことなのです。

いや実は、走る前から答えはわかっていたのです。それを確かめたくて、今回100kmを走ったのです。

生きるということは、毎日、今できることをしっかりやる。その連続です。

しかし、時には周囲の人々と応援しあったり、自分が本当に困っているときは、助けを受けたり。

知人のふとした一言に、心が動かされたり。

そんな、人生の営みが、マラソンには凝縮されています。人生で起きることが、マラソンの中でも起きます。

走る理由なんて、何でも良いのです。

ランナーはマラソンを通じて、生きるための知恵や教訓を暗喩的に人生の糧にできるのかなと思います。

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今回のレースは、トラブルが連発しました。私は、レースでトラブったことがほとんどないので。これも良い経験になりました。

人は失敗をして強くなります。意図的に失敗する必要はありませんが。

今回の経験は、今後のマラソンや人生において、引き出しを増やしてくれるでしょう。

※市民ランナーグランドスラムを1年間で達成すること。ちなみに、市民ランナーグランドスラムとは、フルマラソンサブスリー(3時間切り)、ウルトラ100kmサブ10(10時間切り)、富士登山競走完走を全て達成すること

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